翻訳と辞書
Words near each other
・ 黒イせぇるすまん
・ 黒イせえるすまん
・ 黒カビ
・ 黒キ渚
・ 黒クロム
・ 黒クローム
・ 黒クーロムめっき
・ 黒サビ
・ 黒サブ
・ 黒サラ
黒シャツ隊
・ 黒シリーズ
・ 黒シール事件
・ 黒スグリ
・ 黒タイツ
・ 黒タク
・ 黒ダイヤ
・ 黒テント
・ 黒トリュフ
・ 黒ニャゴ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

黒シャツ隊 : ミニ英和和英辞書
黒シャツ隊[くろしゃつたい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [たい]
 【名詞】 1. party 2. company 3. body (of troops) 4. corps

黒シャツ隊 : ウィキペディア日本語版
黒シャツ隊[くろしゃつたい]

黒シャツ隊(、''カミーチェ・ネーレ''、''CCNN'')は、イタリアファシズムを主導した国家ファシスト党民兵組織。党の創設者で、首相・国家統領を務めたベニート・ムッソリーニによって党の軍事部門「行動隊(スクァドリスモ)、Squadrismo)」を統合して組織された。ファシスト党の政権獲得後は「国家義勇軍(''Milizia Volontaria per la Sicurezza Nazionale''、''MVSN'')」と改称され、陸海空軍カラビニエリに次ぐ「第5の軍」となった。更に大戦前夜に兵員充足の一環として陸軍へ編入されて各戦線へ投入され、イタリア社会共和国成立後は国家警備軍(Guardia Nazionale Repubblicana、GNR)として再編された。
ファシズムやその関連思想を掲げる団体はこうした「党の私兵」を組織する際、その制服として黒シャツ隊を模倣して色柄のシャツを使用する伝統ができた。ナチス突撃隊も、黒シャツ隊に影響を受け「褐色シャツ隊(Braunhemden)」と呼称された。
== 沿革 ==
第一次世界大戦後の1919年3月、ムッソリーニは、ファシスト党の前身であるイタリア戦闘者ファッシを設立した。戦闘ファッシの中核は第一次世界大戦時の退役軍人で、一種の義勇兵的色彩があった。彼らの制服はイタリア陸軍がドイツ陸軍の突撃部隊を参考にして創設したアルディーティ隊の黒い軍服をそのまま流用しており、かつてガリバルディの千人隊が服の色から「赤シャツ隊」と通称されたのに倣って「黒シャツ隊」という呼称が定着した〔Bosworth, R.J.B, ''Mussolini's Italy: Life Under the Fascist Dictatorship, 1915-1945'', Penguin Books, 2005, P. 117〕 。
黒シャツ隊の隊員は多くの退役軍人を中核としたが、農民や運動に共感した政治家、それに反共主義を利益と見た小地主なども加わっていた。戦闘ファッシが勢力を拡大するにつれて、黒シャツ隊はその私兵部隊として大きな騒乱を起こしていくようになる。1921年5月の総選挙でムッソリーニは賛同者35名を当選させ、同年11月に戦闘者ファッシは「ファシスト党」に改組された。黒シャツ隊も1922年10月29日のローマ進軍時点で隊員数20万名を数えるほどに急成長を遂げ、幾つかの連隊に分けられてそれぞれの部隊旗を保有した。
政権を獲得したムッソリーニとファシスト党は、黒シャツ隊に対する処遇を検討しなければならなかった。これは後のナチス政権と突撃隊の関係に類似するが、ナチスは既存の国軍とヒトラーに忠実な親衛隊を優先して突撃隊を切り捨てたのに対して、ファシスト党は黒シャツ隊を正式な国家機関として運用する事を約束した。1923年1月14日、イタリアの国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は黒シャツ隊を陸海空軍・警察軍と同じく「王の軍隊」として認める宣言を出した。これを受けて1923年2月1日にファシスト党は黒シャツ隊を国家義勇軍(Milizia Volontaria per la Sicurezza Nazionale、MVSN)に改称、「第5の軍」として国防省管理下に置いた。
国防義勇軍は主に国外問題を担当する陸海空軍、国内問題を担当する警察軍に対して、青少年・中高年といった正規軍の兵役年齢と合致しない層を予備戦力として訓練する事を目的とした。従って従来の退役兵だけでなく単純に党青年団の少年志願兵や中高年の民兵なども合流、1936年までに14個師団・133個連隊を編成した。
1939年10月、資金不足から悪名高い2個連隊制度(半師団)制度が常態化していた陸軍に対して、ムッソリーニは陸軍と国防省の反対を押し切って陸軍と国防義勇軍の統合を宣言した。師団規模の部隊に関してはそのまま「義勇師団」の名称・兵科で配属され、更に戦力不足の師団には「義勇兵連隊」が補充兵として配置された。しかし兵員の質に問題がある事に加え、指揮系統や装備の違いが完全には是正されなかった事で義勇兵の存在はしばしば陸軍内の弱点となった。この事はスペイン派兵で正規兵からなる「リットリオ旅団」に比べ、残りの義勇兵からなる3個旅団が戦意に問題があることを露呈した事でも明らかであった。
1943年8月にムッソリーニが失脚し、イタリアが連合国に降伏すると、国家組織としての黒シャツ隊も終焉を迎えた。その後、ムッソリーニがイタリア社会共和国(RSI)を樹立すると、国防義勇軍は国家警備軍(Guardia Nazionale Repubblicana、GNR)として再編された。“M”を名称に冠した野戦部隊もGNRの一部として編成され、中には戦車師団空挺部隊などもあった。また一部の旧黒シャツ隊員が独自に義勇兵を組織してパルチザンと戦闘を開始したので、1944年6月にこれらの義勇軍もGNRの補助部隊として正規組織となり、「黒い旅団」(ブリガーデ・ネーレ)と呼ばれた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「黒シャツ隊」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.