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黒姫山 秀男(くろひめやま ひでお、1948年11月12日 - )は、新潟県西頸城郡青海町(現在の糸魚川市)出身で立浪部屋所属の元大相撲力士。本名は田中 秀男(たなか ひでお)。現役時代の体格は182cm、147kg。得意手は押し、右四つ、寄り。最高位は東関脇。四股名の由来は出身地旧青海町の黒姫山から。 ==来歴== 幼少期はプロレスラーに憧れており、プロレスに新聞の切り抜きを集めたり兄弟とプロレスごっこをして過ごしていた。出稼ぎに出た父親が戻ってこず、中学卒業後に家の家計を助けるために大相撲入りを決断し、1964年3月場所において初土俵を踏んだ。四股名は師匠の立浪親方(元横綱・羽黒山)による命名で、師匠が本人に「故郷の近くに山でもあるか」と訊ねた際、本人が「黒姫山があります」と答えたことで決まった。 以降は順調に出世し、1969年3月場所に新十両へ昇進し、同年7月場所には新入幕を果たした。その7月場所では4勝11敗と大敗して十両に陥落するが、1場所で幕内へ復帰してからは幕内に定着する。1970年11月場所には新三役となる西小結へ昇進し、その11月場所では6勝9敗と負け越したものの5日目には横綱・大鵬を突き落としで破った。立ち合いからのぶちかましは強烈で、その威力から蒸気機関車の代名詞である「デゴイチ」との異名をとった。また、額の広いことで「デボネア」とのあだ名もあった。横綱・大関陣との対戦でも必殺のぶちかましで活躍し、横綱・北の湖に8勝26敗、横綱・輪島に7勝24敗、横綱・若乃花には5勝18敗、横綱・三重ノ海には13勝21敗という成績を残し、金星を6個獲得して殊勲賞を4回受賞した。また、大関時代の大受には3戦3勝し、大関・貴ノ花には通算で16勝23敗と上位陣に対してほぼ互角に戦った。 1973年には立浪部屋の部屋付き親方である年寄・11代武隈(元関脇・北の洋)の長女と結婚して娘婿となった。 組んでも右差しからの寄りがあり、一時期は大関候補として名前が挙がるほどであったが、出足が止まると攻め手がなく苦戦した。また大勝が少なく、三役での二桁勝利は一度もなかった。1980年代に入っても幕内に在位していたものの、1981年9月場所に十両へ陥落し、1982年1月場所に西十両8枚目の位置で11日目に2勝9敗となって幕下への陥落が濃厚となり、その1月場所中に引退を表明して年寄・錦島を襲名した。以降、山響・出来山・北陣を経て、1988年2月に岳父の定年退職に伴って年寄・12代武隈を襲名した。日本相撲協会では、1998年の役員選挙で監事に無投票当選して1期2年務めたが、2000年の役員選挙では8代八角(元横綱・北勝海)が監事に当選したために落選している。 1999年2月に準年寄・旭豊が年寄・7代立浪を襲名して立浪部屋を継承したため、長男・羽黒灘と次男・羽黒國を連れて立浪部屋から分家独立して武隈部屋を創設した。新弟子は一切取らず、羽黒國が引退して所属力士が不在となった2004年3月場所後に部屋を閉鎖して、自身は友綱部屋へ移籍した。 長らくNHK第1・大相撲中継において千秋楽に解説を務めるのが恒例となっており、2013年11月場所千秋楽における同番組での解説が年寄在任時の最後の仕事となった。その千秋楽が行われた2013年11月24日に日本相撲協会を定年退職し、1961年1月から年寄の定年制が導入されて以降では通算100人目となる定年退職者となった。 ちなみに、本人は山響親方時代に、殺虫剤「コックローチS」(大日本除虫菊)のCMに大島渚と梨元勝と共に子供役で出演している。 「NHK G-Media 大相撲ジャーナル」2015年秋場所展望号(9月発行)より「“デゴイチ”黒姫山の○場所展望」などのコラム連載がスタートした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黒姫山秀男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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