翻訳と辞書
Words near each other
・ 黒崎彩子
・ 黒崎彰
・ 黒崎扇菜
・ 黒崎播磨
・ 黒崎政男
・ 黒崎昭二のシャンソンをあなたに
・ 黒崎朝美
・ 黒崎村
・ 黒崎村 (岡山県)
・ 黒崎村 (石川県)
黒崎格闘技スクール
・ 黒崎楽器
・ 黒崎武
・ 黒崎比差支
・ 黒崎沙夜子
・ 黒崎浩行
・ 黒崎猫
・ 黒崎町
・ 黒崎町 (岡山県)
・ 黒崎町 (曖昧さ回避)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

黒崎格闘技スクール : ミニ英和和英辞書
黒崎格闘技スクール[くろさき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [みさき]
 (n) cape (on coast)
: [かく]
  1. (n,n-suf) status 2. character 3. case 
格闘 : [かくとう]
  1. (n,vs) hand-to-hand fighting 2. grappling 3. scuffling 
格闘技 : [かくとうぎ]
 (n) sports or disciplines which involve fighting without weapons
闘技 : [とうぎ]
 【名詞】 1. competition 2. contest
: [わざ]
 【名詞】 1. art 2. technique 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

黒崎格闘技スクール ( リダイレクト:目白ジム ) : ウィキペディア日本語版
目白ジム[めじろじむ]
目白ジム(めじろジム)は、1969年昭和44年)3月に創設され、東京都豊島区目白に存在したキックボクシングジム、またはその支部であり1978年オランダアムステルダムに創設されたキックボクシングジム。
日本の目白ジム本部の会長は黒崎健時1978年(昭和53年)に目白に所在したまま、「新格闘術 黒崎道場」と改名。その後「黒崎格闘技スクール」と改名し、埼玉県戸田市に移っている。アムステルダム支部の初代会長はヤン・プラス、現会長はアンドレ・マナート
メジロジムカタカナ表記される場合はアムステルダム支部のことを指すが、日本の目白ジム本部が改名・移転した現在では漢字表記されていてもアムステルダム支部のことを指す場合が多い。
日本の本部、アムステルダム支部ともに数多くの強豪キックボクサームエタイ戦士を輩出している。
== 概要 ==
1964年(昭和39年)に大山道場(後の極真会館)の代表メンバーの一人としてムエタイと戦った黒崎は、自らが敗北した悔しさとムエタイの格闘レベルに驚愕した。この経験から1969年(昭和44年)に極真会館を離れ、打倒ムエタイを目的として同ジムを立ち上げて、キックボクシングに参戦した。
全日本キックボクシング協会に加盟して、大沢昇藤原敏男島三雄岡尾国光斎藤京二らの全日本王者を輩出。そして大沢・藤原・島はタイに赴き、ムエタイランカーと互角の戦いを展開し、1978年(昭和53年)に藤原が外国人初のムエタイ王者(ラジャダムナン王者)となった。
同じ年に同ジムを「新格闘術 黒崎道場」と改名し、新格闘術として独自興業を打ち始めた。当時は積極的に他団体や異種格闘技と交流する時代でなかったが、黒崎は全日本キックボクシング協会の枠組みに囚われず、当時台頭してきたWKAPKAといった、アメリカンプロカラテ〔当時でいう狭義な意味のマーシャルアーツ、今でいうアメリカンキックボクシングの事である。〕やムエタイ、あるいは異種格闘技とのマッチメイクを積極的に組んでいた。他にも単発的に独自にタイからランカークラスの選手を招聘して、日本武道館でムエタイの試合を開催したり、所属連盟に囚われないキックボクシングのオープントーナメントなども開催した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「目白ジム」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mejiro Gym 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.