翻訳と辞書
Words near each other
・ 黒川万由美
・ 黒川中学校
・ 黒川亀玉
・ 黒川五郎
・ 黒川伊保子
・ 黒川伸一
・ 黒川信重
・ 黒川俣村
・ 黒川元司
・ 黒川元春
黒川兼三郎
・ 黒川兼行
・ 黒川出入口
・ 黒川利雄
・ 黒川創
・ 黒川力也
・ 黒川博行
・ 黒川博通
・ 黒川原駅
・ 黒川古文化研究所


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

黒川兼三郎 : ミニ英和和英辞書
黒川兼三郎[くろかわ かねざぶろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [けん]
  1. (conj,n) and 2. in addition 3. concurrently 
: [み]
  1. (num) three 

黒川兼三郎 : ウィキペディア日本語版
黒川兼三郎[くろかわ かねざぶろう]
黒川 兼三郎(くろかわ かねざぶろう、1893年11月30日 - 1948年5月1日)は日本の電気工学者、早稲田大学教授、工学博士。音響学の功績も大きく、大隈講堂の音響設計を担当したことでも知られる。黒川兼行は長男。
==経歴==
東京出身。1916年(大正5年)、早稲田大学理工科電気工学科卒業。卒業後、同大学の助教授に就任。
1918年(大正7年)、アメリカ合衆国に留学(2年半)。アメリカでは音響学についても学び、帰国後、建築学科でも建築音響の講座を担当。また、佐藤武夫とともに大隈講堂の音響設計を担当した。大隈講堂は日本で初めて科学的な音響理論に基づいて設計されたホールとされる。
1929年(昭和4年)、「音響イムピーダンス並に受話器に関する二、三の研究」で学位取得。
1942年(昭和17年)、早稲田大学電気工学科から電気通信学科が独立し、教務主任に就いた。また、1940-42年(昭和15-17年)に電気通信学会副会長、終戦後の1946-47年(昭和21-22年)に同会長を務めた。
終戦後の1948年(昭和23年)死去、享年56。
==著作==

*宝塚大劇場の音響学的調査(「早稲田建築学報」第4号、佐藤武夫と共著、1926年)
*電気回路過渡現象論(1931年)
*電気回路交流現象論(1934年)
*電磁原論(1936年)




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「黒川兼三郎」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.