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黒川良安 : ミニ英和和英辞書
黒川良安[くろかわ まさやす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [りょう]
 【名詞】 1. good 

黒川良安 : ウィキペディア日本語版
黒川良安[くろかわ まさやす]
黒川 良安(くろかわ まさやす、1817年3月21日文化14年2月4日) - 1890年明治23年)9月28日)は、江戸時代末期の蘭学、蘭学者である。越中国新川郡(現:富山県上市町)出身。
シーボルト緒方洪庵に医学を学ぶ。金沢藩医学館(現金沢大学医学部の源流諸校の1つ)の基となる金沢種痘所を創るなど、北陸近代医学の祖であり、金大医学部キャンパスには彼を記念するレリーフが設置されている。
佐久間象山に蘭学を教授したことでも知られる。

==略年譜==

*1817年 医者である黒川玄龍(くろかわ げんりゅう)の子として生まれる
*1828年 長崎出島の大通詞吉雄権之助をたより、留学する
*1836年 適塾に緒方洪庵を訪ね、洪庵の指示により、江戸の蘭学者である坪井信道の門に入り塾頭となる
*1844年 佐久間象山に蘭学を教授し始める
*1862年 金沢種痘所を創設
*1867年 金沢藩療養所を創設
*1868年 長崎へ医学校設立のための調査に行く
*1870年 金沢藩医学館の改組に尽力する
*1871年 金沢藩医学館を引退
*1890年 死去

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「黒川良安」の詳細全文を読む




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