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黒川 芳正(くろかわ よしまさ、1948年1月26日〔『反日思想を考える 死刑と天皇制』(軌跡社)P.7〕 - )は、日本の新左翼活動家。元東アジア反日武装戦線「さそり」メンバー。獄中者、映画監督である。 == 人物・来歴 == 山口県立宇部高等学校を卒業後、東京都立大学文学部哲学科に進学。その後、中核派の活動家となった黒川は佐藤首相訪米阻止闘争、1968年には佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争に参加。その後、中核派からは離れたが、東大安田講堂事件で武装闘争を決意した。 山谷や釜ヶ崎といった寄せ場で日雇い労働を行いつつ暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議や山谷底辺委員会に関与した。 佐々木規夫を通じて大道寺将司に会い、東アジア反日武装戦線に参加。1974年に「さそり」を結成し、底辺委員会メンバーの宇賀神寿一や桐島聡とともに連続企業爆破事件を起こす。1975年に逮捕される。逮捕時に所持していた鍵が他の逮捕されたメンバーの者と一致せず、追及の結果、逮捕されていないメンバーの宇賀神寿一や桐島聡の存在が判明した。 1979年11月、東京地裁で無期懲役の判決が下る。 1987年3月24日、最高裁にて上告棄却。無期懲役が確定。 2015年現在、宮城刑務所に収監されている〔。 1987年、獄中から監督をして異色のドキュメンタリー映画『母たち』を製作している〔母たち 、山形国際ドキュメンタリー映画祭、2012年6月3日閲覧。〕。黒川自身の母を含む大道寺や益永利明ら獄中メンバーの母たちへのインタビューを構成したもので、カラー8mm、上映時間は120分である〔。のちにビデオ化も行なわれ、1997年、山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黒川芳正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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