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黒木 健孝(くろき やすたか、1982年1月9日 - )は、日本の元プロボクサー。長崎県佐世保市出身。元OPBF東洋太平洋ミニマム級、元日本同級王者。ヤマグチ土浦ボクシングジム所属。長崎県立佐世保工業高等学校定時制卒業。 トリッキーなスタイルから「土浦の孫悟空」と呼ばれる。 == 来歴 == 中学卒業後地元のボクシングジムでボクシングを始める。会長の紹介で高校卒業後の19歳の時、ヤマグチ土浦ボクシングジムへ移籍した。 2001年9月29日、プロデビュー、加藤和之に4回判定負け。 2006年4月15日、元IBF世界ミニマム級王者ニコ・トーマス(インドネシア)と対戦し、初回KO勝ち。この勝利により日本ランキング2位から1位へ上昇し、以後1位を保持。 2007年5月5日、日本ミニマム級王者三澤照夫に挑戦。5回にダウンを喫したものの、7回に偶然のバッティングで左まぶたをカットし試合停止。負傷判定の結果、勝利となり王座獲得に成功。岩本悟がジムを開設して35年目にして初のチャンピオンとなった〔日本ミニマム級タイトルマッチ 35年目の肩車 常陽リビング 2007年5月30日閲覧〕。三澤とは2008年4月2日の2度目の防衛戦でも再戦し、この時は10回判定勝ち。6月30日には3度目の防衛に成功〔黒木3度目の防衛-日本ミニマム級戦 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2008年6月30日〕。 2008年11月16日、日本王座在位のまま東洋太平洋ミニマム級王座挑戦。1度対戦し敗れた相手でもあった同級王者・和賀寿和に挑み、12回判定勝ちで王座獲得に成功〔黒木、和賀に大差判定勝ち 大場は川端撃退 ボクシング総合ポータル「Box-on!」 2008年11月16日〕。その後、12月20日付けで日本王座を返上。 その後、2度の防衛に成功し、世界ランキングもWBA1位・WBC3位に浮上。 2010年3月27日、世界王座初挑戦。有明コロシアムでWBC世界ミニマム級王者オーレイドン・シスサマーチャイ(タイ)に挑戦し、11回にダウンを奪ったものの僅差判定負けで王座獲得に失敗した〔黒木僅差判定負け 小関は大差判定でV4 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年3月28日〕。この試合はトリプル世界戦の1試合として行われた。同年7月1日、WBC世界ミニマム級10位として同じサウスポーの榎本信行とライトフライ級契約8回戦を行い、3R2分31秒TKO勝利で再起を果たした〔黒木、再起戦勝利 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年7月2日閲覧〕。 2010年9月25日、つくばカピオで、黒木の返上後に東洋太平洋ミニマム級新王者となったマイケル・ランデロ(フィリピン)に挑むも、8回2分11秒TKOで破れた〔黒木、8回TKO負け-王座復帰ならず ボクシングニュース「Box-on!」 2010年9月26日閲覧〕。 2011年1月16日、モチベーションの低下などから引退。約十年のプロボクサー人生に終止符を打った。 2012年6月3日、つくば市にてボクシングスクールのイベントをおこなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黒木健孝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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