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黒木為楨 : ミニ英和和英辞書
黒木為楨[くろき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
黒木 : [くろき]
 【名詞】 1. unbarked lumber 
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [ため]
 【名詞】 1. good 2. advantage 3. benefit 4. welfare 5. sake 6. to 7. in order to 8. because of 9. as a result of 

黒木為楨 ( リダイレクト:黒木為もと ) : ウィキペディア日本語版
黒木為もと[ため]

黒木 為楨(くろき ためもと、天保15年3月16日1844年5月3日) - 大正12年(1923年2月3日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍大将伯爵通称は七左衛門。
== 生涯 ==
薩摩藩士・帖佐為右衛門の三男として薩摩国鹿児島城加治屋町猫之薬師小路(下加治屋町方限)に生まれる。のち、黒木万左衛門為善の養子となり黒木姓を名乗る。
戊辰戦争に4番隊半隊長として従軍。鳥羽・伏見の戦いでは、薩摩藩の小銃隊を指揮して幕府歩兵を集中射撃により敗走させ、宇都宮城攻防戦では城壁に突進して取り付くなど奮戦し、勝利の契機をつくった。明治2年(1869年)2月、1番大隊小隊長となる。
明治4年(1871年)4月に上京し、同年7月、陸軍大尉任官、御親兵1番大隊に配属。明治5年(1872年)8月、陸軍少佐に昇進し近衛歩兵第1大隊長に就任。近衛歩兵第2大隊長を経て、明治8年(1875年)2月、陸軍中佐に進級し広島鎮台歩兵第12連隊長となる。明治10年(1877年)3月、西南戦争に出征し、同年10月まで従軍。明治11年(1878年)11月、陸軍大佐に昇進。明治12年(1879年)1月、近衛歩兵第2連隊長に転じ、中部監軍部参謀参謀本部管東局長を歴任。明治18年(1885年)5月、陸軍少将に進級し歩兵第5旅団長に就任し、次いで近衛歩兵第2旅団長を務めた。
明治26年(1893年)11月、陸軍中将に進み第6師団長に就任。明治28年(1895年)1月、日清戦争に出征し威海衛の攻撃に参加する。同年8月、軍功により男爵を叙爵し華族となる。明治29年(1896年)10月、近衛師団長に親補され、西部都督に転じた。明治36年(1903年)11月、陸軍大将に進む。
明治37年(1904年)1月、軍事参議官に就任。同年2月、第1軍司令官となり、翌月、日露戦争開戦に伴い出征。鴨緑江から奉天会戦まで連戦し、ロシア軍からは、「クロキンスキー」と恐れられた。明治39年(1906年)1月、再び軍事参議官となり、明治40年(1907年)4月から6月までアメリカに出張。同年9月、軍功により伯爵を叙爵。明治42年(1909年)3月、後備役に編入、大正3年(1914年)4月1日に退役した〔『官報』第503号、大正3年4月6日。〕。大正6年(1917年)4月から同12年(1923年)2月まで枢密顧問官を務めた。
大正12年(1923年)2月3日午後10時、肺炎のため東京市青山の自邸において没。享年80(満78歳没)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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