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黒正 巌(こくしょう いわお、1895年1月2日 - 1949年9月3日)は日本の経済学者。専門は経済史、経済地理学。岡山県出身。大阪経済大学初代学長。 == 来歴 == 岡山県上道郡可知村(岡山市)で生まれる。可知村の尋常小学校、上道郡の高等小学校を経て、15歳で岡山中学校(現・岡山県立岡山朝日高等学校)に入学し、二里の道を歩いて通い、20歳で卒業した。第六高等学校に入学、ドイツ語や英語などを習得し、他に歴史や経済史を研究した。22歳の時に黒正と改姓した。翌1917年(大正6年)卒業し、京都帝国大学法科大学政治経済学科に入学した。2年後、京都帝国大学経済学部へ転学した。翌1920年(大正9年)に同大学を卒業し、大学院に進学し、日本経済史を専攻した。また、一般経済史や経済地理学をも研究した。さらに、朝鮮や満州を視察した。1922年(大正11年)、大学院を退学し、28歳で同大学の経済学部講師を嘱託された。旧岡山藩の経済史の研究に、まず没頭し、次第に他藩との比較研究を行うようになり、各藩の自然的・社会的・歴史的な特異性を知り、地理的な比較研究も必要であることを痛感し、経済史学とともに経済地理学を研究するようになった。〔岡田俊裕著 『 日本地理学人物事典 [ 近代編 2 ] 』 原書房 2013年 15ページ〕。1923年(大正12年)29歳の時、『経済史論考』を刊行し、その中で経済史学と経済地理学とは密接・不可分の関係にあることを強調している。1922年(大正11年)文部省在外研究員を命じられ、農史研究のためイギリス・ドイツ・フランス・アメリカに満2年間(1925年)留学する。ドイツのハイデルベルク大学でウェーバーの講義に啓発される。彼の考えは、1931年刊行の『日本経済地理学』に述べられている。〔岡田俊裕著 『 日本地理学人物事典 [ 近代編 2 ] 』 原書房 2013年 16ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黒正巌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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