翻訳と辞書
Words near each other
・ 黒沢愛斗
・ 黒沢文貴
・ 黒沢明
・ 黒沢明とロスプリモス
・ 黒沢明とロス・プリモス
・ 黒沢智子
・ 黒沢最強伝説
・ 黒沢村
・ 黒沢村 (茨城県)
・ 黒沢楽器店
黒沢止幾
・ 黒沢正吉
・ 黒沢正徳
・ 黒沢治樹
・ 黒沢洋
・ 黒沢洋介
・ 黒沢浩
・ 黒沢浩樹
・ 黒沢淳
・ 黒沢清


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

黒沢止幾 : ミニ英和和英辞書
黒沢止幾[くろさわ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 
: [ほとほと]
  1. (adv) quite 2. greatly

黒沢止幾 ( リダイレクト:黒澤止幾 ) : ウィキペディア日本語版
黒澤止幾[くろさわ とき]
黒沢 登幾(くろさわ とき、文化3年12月21日1807年1月29日) - 明治23年(1890年5月8日)は、日本初の女性小学校教師常陸国茨城郡錫高野村(桂村を経て現・茨城県東茨城郡城里町)出身。名は止幾子とも。号は李恭。
== 人物概要 ==
若い時代から寺子屋で物書きを子供たちに教えるなどしていたが、26歳のときに夫と死別。以降は苦学を続けながら、実家へ戻り生活していた。1858年、世に言う安政の大獄事件が発生する。郷里の殿様であった徳川斉昭を始めとする尊皇攘夷派が弾圧されたことを機に、斉昭の無実を訴えに京へと上り、お上への献上歌を公家に手渡したものの、弾圧されていた水戸家とつながりがあると疑われ、厳しい尋問を受けた。その結果、常陸国や江戸への立ち入りを禁止されたために、故郷に近い今の栃木県茂木へと住むことにした。その後錫高野村へと戻った止幾は、村長から小学校の教師をしてくれと依頼され、1873年、正式に日本初の小学校女性教師となった。
1890年、85歳で死去。1907年従五位が追贈された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「黒澤止幾」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.