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黒沢貞次郎 : ミニ英和和英辞書
黒沢貞次郎[くろさわ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

黒沢貞次郎 ( リダイレクト:黒澤貞次郎 ) : ウィキペディア日本語版
黒澤貞次郎[くろさわ ていじろう]

黒澤 貞次郎(くろさわ ていじろう、1875年1月5日 - 1953年1月26日)は、日本の実業家技術者
1899年ニューヨークのエリオット・ハッチ商会(タイプライター製造工場)に勤務の傍ら「ひらがな・縦書き」のタイプライターを試作し、1900年にはカタカナ・タイプライターの製造に成功した。1901年これらを携えて帰国。これが日本で最初のかな文字タイプライターといわれる。また1909年に当時の東京市京橋区尾張町2丁目(現在の東京都中央区銀座6丁目9-2)に建設した黒澤商店ビルは、日本で最初の鉄筋コンクリート工法のオフィスビルであることが、後年の調査で判明している。1914年には国産タイプライターの生産工場を、当時の東京府荏原郡蒲田村大字新宿から字御園にわたり建設した。2万坪(約66000㎡)に及ぶ工場敷地内には工場従業員の為の社宅群である「吾等が村」も建設され、周囲からは「黒澤村」と称された。生前貞次郎は自らの出自や小僧奉公時代のこと、アメリカでの体験談などを自身の子を含め複数の知人に語っているが、いずれの談にも食い違いがあり、この間の正確な情報は不明な部分が多い。
== 来歴・人物 ==

*1875年 1月5日、東京府日本橋大門通り、現在の日本橋蛎殻町から日本橋箱崎町にかかる附近で生まれる。
*1882年 貞次郎の母 トメ死去、享年39。
*1885年 日本橋区の公立小学校を中退し日本橋本町(現在の室町3~4丁目、本石町3~4丁目付近)の薬種問屋に小僧奉公に出る。
*1893年 臨時の船員として横浜港からアメリカに向けて出港。アメリカ西海岸に到着後、農業や缶詰工場などの仕事をしながら貯金を作る〔〕。
*1895年 シカゴを経由してニューヨークに渡り、エリオット・ハッチ商会(The Elliott & Hatch Book Typewriter Co.)のエリオット家で働き始め〔、のちに同社に就職する。
*1901年 5月帰国。タイプライターの輸入、販売、修理業および事務用品の販売業として京橋区弥左衛門町一丁目(現在の中央区銀座4-2-2)に黒澤商店を創業する。
*1902年 竹中きくと結婚。長男誕生。同年京橋区明石町31に居を構える。この地で男子2人、女子3人が誕生。
*1906年 東京市京橋区尾張町2丁目に、黒澤商店の移転先としての土地を取得。
*1908年 4月から2か月間、再度渡米しサンフランシスコシカゴニューヨークさらに欧州も視察する。
*1909年 10月18日。鉄筋コンクリート造3階建ての黒澤商店ビル建設を始める。
*1912年 貞次郎の父 慶助死去、享年76。
*1913年 東京府荏原郡蒲田村に工場用土地の取得を始める。
*1915年 自宅を蒲田村字御園に移す。この地で四女誕生。
*1917年 6月21日、大阪中央電信局にカナ・タイプライター2台を納入。同年電信用カナ・タイプライターを完成。
*1918年 蒲田村に取得した2万坪余り(約66000㎡)の土地に、工場および従業員住宅の建設を始める。
*1924年 2月、東京ロータリークラブに入会。
*1921年 蒲田村に630坪の鉄筋コンクリート造の工場および従業員住宅が完成。
*1928年 11月緑綬褒章を受章。
*1933年 純国産化されたカナ・タイプライターを「アズマタイプ」の商標で販売する。
*1940年 大毎・東日通信賞を受賞。
*1945年 空襲で自宅が焼失。大田区調布嶺町1に転居する。
*1953年 1月1日、脳溢血を発症し意識不明となる。
*1953年 1月26日、貞次郎死去。享年78。従六位勲五等瑞宝章を授与される。
*1963年 12月23日、妻・黒澤きく死去、享年87。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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