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黒河・騰衝線(ヘイホー・トンチョンせん、)は、中華人民共和国(中国)、東北部国境の黒竜江省黒河市(旧称・璦琿(アイグン))から西南部国境の雲南省保山市騰衝市まで地図上で引いた線。中国人口分布の極端な偏りを示す線である。 旧称を用いて璦琿・騰衝線、あるいは提唱者の名をとって胡煥庸線()とも呼ばれる。 == 初出と追跡調査 == 1935年に地理学者胡煥庸(胡焕庸)により、この線(当時は「璦琿・騰衝線」)の東部は約400万km2、国土の約36%、西部は約700万km2で総国土の約64%を占める一方、人口分布については、東部が約4億人で、総人口の96%程度を占めるのに対して、西部は約1800万人で総人口の4%となり、極端に偏った人口分布となっていることが、1933年の人口分布図と人口密度図に基づき発見され、同年中国地理学会の学会誌『地理学報』の論文「中国人口之分布」中に発表された。その後、米国の『''Geographical Review''』にも掲載され、さらに、英独の著名な学会誌にも掲載され紹介された。 1987年、胡煥庸は、1982年の人口調査を元に再調査した結果、東部:西部は面積比の42.9%対57.1%に対して、人口比は94.4%対5.6%という結果を得ている。なお、1935年と比べると、台湾(1935年当時日本領)を対象に含めており、モンゴル人民共和国(外蒙古)を対象から除いている。また、1983年4月、愛琿県が黒河市に併合されたため、黒河・騰衝線と呼称されるようになった。 2002年の調査でも、1987年とほぼ同様の結果となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黒河・騰衝線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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