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益荒海 幸太(ますらうみ こうた、1988年(昭和63年)10月15日 - )は、愛知県豊田市出身で阿武松部屋に所属していた元大相撲力士。本名は黒澤 幸太(くろさわ こうた)、愛称は少年。身長173cm、体重142kg、血液型はA型。得意技は突き、押し。最高位は西十両5枚目(2011年9月場所)。 == 人物 == 猿投台中学校では陸上部に所属して砲丸投げを経験した。それまで相撲を経験したこともなかったものの、中学3年生だった2003年7月に知人に誘われて場所中の阿武松部屋の稽古を見学した際に阿武松親方(元関脇・益荒雄)のスカウトを受けて阿武松部屋へ入門し、2004年3月場所において三番出世で初土俵を踏んだ。入門時の身長は170cmしかなく、身長の低い新弟子を対象とする第二検査で新弟子検査に合格した。 2009年11月場所では東幕下23枚目の位置で7戦全勝の成績を挙げて幕下優勝を果たした。2010年1月場所では西幕下2枚目の位置で4勝3敗と勝ち越しを決め、場所後の番付編成会議で翌3月場所における新十両への昇進が決定し、同時に四股名を本名の「黒澤」から「益荒海」へと改めた。第二検査合格者が関取へと昇進したのは豊ノ島・磋牙司に次いで3人目、そのうち相撲未経験者の関取昇進は史上初のこととなった。同じく阿武松部屋に所属する大道も同時に新十両へ昇進し、同部屋の同時新十両昇進は2008年1月場所における春日野部屋の木村山と栃ノ心以来のこととなった。その新十両で迎えた3月場所では7勝8敗と負け越して、翌5月場所では幕下へ陥落した。翌7月場所において十両へ復帰したものの、その7月場所でも3勝12敗と大敗して再び幕下へ陥落した。 翌9月場所から2011年1月場所まで幕下上位で3場所連続して勝ち越しを決め、同年3月場所の中止を挟んで翌5月技量審査場所において3回目の十両昇進を果たした。その5月技量審査場所では東十両13枚目の位置で5勝10敗と大敗したものの、大相撲八百長問題により多数の力士が引退した影響もあり、大きく負け越したにもかかわらず翌7月場所では逆に東十両12枚目へと番付が上がった。その7月場所では10勝5敗と大きく勝ち越し、翌9月場所では自己最高位となる西十両5枚目まで番付を上げた。しかし、その後はあまり調子が上がらず、2012年7月場所に西十両13枚目の位置で6勝9敗と負け越し、翌9月場所において幕下へ陥落した。 2013年3月場所から首の負傷の影響で休場し、首の負傷により思い切った稽古ができなくなったという理由により、翌5月場所中に24歳で現役引退を表明した〔 スポニチアネックス〕。同年5月27日に東京都内のホテルにて行われた阿武松部屋の同年5月場所千秋楽打ち上げパーティーにおいて断髪式が行われた。本人は琴錦のようなスピードのある相撲を目標にしていた。柔道経験もあったことから、突き押し主体の相撲ながらも蹴返しなどの足技を出すことがあった。 なお、元・高校カヌー王者の兄も巴川という四股名で2005年9月場所に初土俵を踏んだが、前相撲を取ったのみで引退している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「益荒海幸太」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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