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黒瀬義門 : ミニ英和和英辞書
黒瀬義門[くろせ よしかど]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [せ]
 【名詞】 1. current 2. torrent 3. rapids 4. shallows 5. shoal 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

黒瀬義門 : ウィキペディア日本語版
黒瀬義門[くろせ よしかど]

黒瀬 義門(くろせ よしかど、1846年2月24日弘化3年1月29日) - 1919年大正8年)9月1日)は、日本の陸軍軍人貴族院男爵議員。最終階級は陸軍中将
==経歴==
備前国岡山城下船頭町(現在の岡山県)出身。岡山藩士・黒瀬源六郎の長男。1868年明治元年)より岡山兵学館で学ぶ。選抜されて大阪兵学寮青年舎に入り〔20世紀日本人名事典 〕、1872年2月7日(明治4年12月29日)、陸軍少尉に任官。1885年(明治18年)6月、野戦砲兵第6連隊長となり、1888年(明治21年)5月、陸軍砲兵射的学校長へ異動し、同年11月、砲兵大佐に昇進した。
1893年(明治26年)4月、陸軍砲工学校長に就任。1894年(明治27年)9月、第2軍砲兵部長となり日清戦争に出征。1895年(明治28年)4月、陸軍少将に進級した。
1895年(明治28年)7月9日、砲工学校長事務取扱となり、同月22日、野戦砲兵監へ異動。次いで要塞砲兵監に就任し、1901年(明治34年)5月、陸軍中将に進むが、翌年5月に休職した。
1904年(明治37年)2月、台湾守備隊司令官に発令され日露戦争を迎えた。同年11月に休職。1905年(明治38年)6月、留守第7師団長として復帰したが、1906年(明治39年)5月に休職し、翌年3月2日、予備役に編入された〔『官報』第7100号、明治40年3月4日。〕。1908年(明治41年)4月1日、後備役となる〔『官報』第7446号、明治41年4月25日。〕。1913年(大正3年)4月1日に退役した〔『官報』第206号、大正2年4月10日。〕。
1907年(明治40年)9月21日、日清・日露戦争での功績により男爵を叙爵し華族となった。1911年(明治44年)7月、貴族院男爵議員に選出され〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』70頁。〕、1917年(大正6年)4月5日に辞職した〔『官報』第1402号、大正6年4月7日。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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