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黒田アキヒロ : ミニ英和和英辞書
黒田アキヒロ[くろだ あきひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

黒田アキヒロ : ウィキペディア日本語版
黒田アキヒロ[くろだ あきひろ]

黒田 アキヒロ(くろだ あきひろ、男性、1978年4月28日 - )は、日本キックボクサー。本名は黒田 哲広神奈川県相模原市出身。フォルティス渋谷所属。神奈川県立麻溝台高校専修大学卒業。現J-NETWORKライト級王者。
== 来歴 ==
小学校1年から高校までは野球を経験。専修大学2年時に大学のキックボクシング部に入部し、キックボクシングを始めた。大学では3試合に出場した。大学卒業後の2001年増田博正に憧れてサバーイ町田ジムに入門した〔黒田アキヒロ|Chap トップアスリートインタビュー 〕。
2003年10月19日、黒田哲広としてJ-NETWORKでプロデビュー。
2004年12月5日の7戦目からリングネームを黒田アキヒロに変更した。
2005年3月2日の試合を最後にサバーイ町田ジムからオープンしたばかりのフォルティス渋谷ジムに移籍した〔。
2005年10月16日、初参戦となった全日本キックボクシング連盟で栗原豊と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。
2006年3月5日、初参戦となったマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟山本佑機と対戦し、0-2の判定負けを喫した〔【MA日本キック】波乱続出!森田、アトム、壮泰が敗れる 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年3月5日〕。
2006年4月30日、R.I.S.E.初参戦となったR.I.S.E. XXVのメインイベントで末廣智明と対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。FLASH to CRUSH TOURNAMENT '06の前哨戦での勝利となった〔【ライズ】いざ6月のトーナメントへ!メインで末廣が敗れる波乱、上松&水谷はKO勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年4月30日〕〔[R.I.S.E.] 4.30 大森:上松・水谷・三浦がKO勝ち BoutReview 2006年4月30日〕。
2006年6月25日、R.I.S.E. FLASH to CRUSH TOURNAMENT '06の1回戦でKAWASAKIと対戦し、0-3の判定負けを喫した〔【ライズ】水谷がトーナメント優勝! 須藤の豪腕が尾崎をKO 格闘技ウェブマガジンGBR 2006年6月25日〕。
2007年9月16日、J-NETWORKライト級王座決定トーナメント1回戦で菅原勇介と対戦し、2-1の判定勝ちを収めた〔【J-NETWORK】ファビアーノがヘビー級新王者に!14歳・藤鬥嘩裟は大流血で初敗北…… 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年9月16日〕。
2007年11月9日、J-NETWORKライト級王座決定トーナメント準決勝で安東辰也に2-0の判定勝ちを収めるも、決勝で細野岳範に0-3の判定負けを喫し、準優勝となった〔【J-NETWORK】15歳・藤鬥嘩裟が史上最年少チャンプに!大晦日HIROYAに挑戦状 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年11月9日〕。
2008年5月11日、初参戦となったニュージャパンキックボクシング連盟中須賀芳徳と対戦。1Rに右ストレートでダウンを奪うも、2Rに跳び膝蹴りでTKO負けを喫した〔【NJKF】桜井洋平が秒殺勝利で世界タイトル獲得!! 健太が新王者に 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年5月11日〕。
2008年8月31日、J-NETWORKライト級王者細野岳範に挑戦し、肘打ちによるKO勝ち。24戦目で初めて王座を獲得した〔【J-NETWORK】チームドラゴンが12勝2敗の大勝!AKIRAは初防衛も、細野が王座陥落 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年8月31日〕。細野には3戦目での初勝利となった。
2008年12月23日、TOUITSU ライト級(62kg級)初代王者決定トーナメントに出場。1回戦で梶原龍児、準決勝で吉本光志に判定勝ちするも、決勝で石井宏樹にダウンを奪われた上で判定負けを喫し、準優勝となった〔【TOUITSU】本命・石井宏樹が黒田アキヒロからダウン奪い、トーナメント制覇! 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年12月23日〕。
2009年3月1日、初参戦となったM-1ムエタイチャレンジでアピサック・KTジムと対戦。3Rにアピサックの縦肘打ちで額をカットしTKO負けとなった〔【M-1】アヌワットが駿太を圧倒、僅か125秒でKO勝ち!増田博正は世界王座を奪取! 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年3月1日〕。
2009年5月6日、J-NETWORKライト級王者青津潤平と対戦。最終5回に青津の左肘打ちで額をカットするも、0-1の判定ドローでかろうじて王座初防衛に成功した〔【J-NETWORK】黒田、シングが初防衛に成功!スクランブル渋谷が5冠達成 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年5月6日〕。
2009年7月17日、J-NETWORKで全日本キックボクシング連盟ライト級王者遠藤智史と対戦し、0-3の判定負けを喫した〔[J-NETWORK] 遠藤、黒田との王者対決制す。佐藤政人が王者に BoutReview 2009年7月19日〕。
2010年3月13日、Krush×Survivorのトリプルメインイベント(最終試合)で大月晴明と対戦し、0-3の判定負けを喫した〔【Krush×サバイバー】大月晴明、久保優太が勝利!寺戸伸近はKENJIに圧勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年3月13日〕。
2010年5月3日、J-NETWORKライト級タイトルマッチで青津潤平と再戦する予定であったが、大月戦で負傷したため欠場〔【J-NETWORK】5・3黒田欠場、青津VS塚原で暫定王座決定戦 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年4月6日〕。同大会では青津と塚原光斗による暫定王座決定戦が行なわれ、青津が暫定王座を獲得した〔【J-NETWORK】青津がKO勝利で暫定王者を獲得!NJKF中須賀がJ-NET王者・木村を下す 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年5月3日〕。
2010年8月22日、J-NETWORKライト級王座統一戦で暫定王者青津潤平と対戦し、2-0の判定勝ちで王座統一および2度目の防衛に成功した〔【J-NETWORK】黒田、シング、佐藤が王座防衛!TO-MAがウエンツを下して新王者に 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年8月22日〕。
2010年11月7日、NJKFライト級王者一輝と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた〔【NJKF】中嶋平八、ムエタイの壁を越えられず……WBCムエタイ王座獲得に失敗 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年11月7日〕。
2011年1月23日、WBCムエタイ日本スーパーライト級王者高橋誠治と対戦し、右ハイキックでダウンを奪われたところでタオル投入によるTKO負けを喫した〔【NJKF】ムエタイの壁は高し!羅紗陀がカノンスックに3度のダウンを奪われて判定負け 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年1月23日〕。
2011年5月15日、谷山ジム主催「ビッグバン・統一への道 其の五」で、HIROYAと対戦し、0-3の判定負けを喫した。
2011年8月21日、J-NETWORKライト級タイトルマッチで同級1位ファイヤー原田と対戦しローキックと肘で圧倒し3RKO勝ちを収めた〔【J-NETWORK】ファイヤー原田が涙の現役引退!黒田&佐藤が王座防衛 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年8月21日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「黒田アキヒロ」の詳細全文を読む




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