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黒田 久孝(くろだ ひさたか、1846年(弘化2年12月) - 1900年(明治33年)12月5日)は、幕末の幕臣。明治期の陸軍軍人、華族。最終階級は陸軍中将。男爵。旧名は久馬介、久馬。 ==経歴== 本籍静岡県。江戸で幕臣の家に生まれる。沼津兵学校で教授方を勤める。同校の兵部省移管に伴い明治政府に出仕した。 1879年(明治12年)3月、陸軍士官学校次長兼学科提理となる。1881年(明治14年)10月、東京砲兵工廠提理兼砲兵第1方面提理へ異動し、翌年2月、砲兵大佐に昇進した。 1886年(明治19年)3月、参謀本部海防局長を兼ね、さらに同年10月、臨時砲台建築部事務官を兼務した。1889年(明治22年)12月、砲兵会議議長に就任。1890年(明治23年)9月、陸軍少将に進級し、翌月、野戦砲兵監となった。1894年(明治27年)9月、第1軍砲兵部長に発令され日清戦争に出征した。 1895年(明治28年)4月、東京湾要塞司令官に就任し、同年8月、日清戦争の功績により男爵を叙爵し華族となった。1896年(明治29年)5月、東京防禦総督部参謀長に就任し、1897年(明治30年)4月、陸軍中将に進み東京湾要塞司令官に再任された。同年10月、東宮武官長に就任し、在職中に死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黒田久孝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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