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黒田 杏子(くろだ ももこ、1938年(昭和13年)8月10日 - )は、俳人。東京市本郷生まれ。父は開業医。1944年栃木県に疎開、高校卒業まで栃木県内で過ごす。東京女子大学入学と同時に俳句研究会「白塔会」に入り、山口青邨の指導を受け、青邨主宰の「夏草」に入会。同大学文理学部心理学科卒業後、博報堂に入社。テレビ、ラジオ局プランナー、雑誌『広告』編集長などを務め、瀬戸内寂聴、梅原猛、山口昌男など多数の著名文化人と親交を持つ。この間、10年ほど作句を中断。1970年、青邨に再入門。青邨没後、1990年俳誌「藍生」(あおい)を創刊、主宰。 代表句に「白葱のひかりの棒をいま刻む」「一の橋二の橋ほたるふぶきけり」など。「季語の現場人」と自ら名付けた姿勢を作句の基本とし、平明な表現で季語を生かす句風を特徴とする。結社活動も含め俳人として精力的な活動を行っており、おかっぱ頭、モンペ姿のトレードマークで親しまれている。女流では宇多喜代子らと並び称される存在である。また句作を再開した1970年から同時に「日本列島桜花巡礼」を発心、30年かけて全国の桜を巡り「桜」の俳人としても知られる。日本経済新聞俳壇選者。 == 受賞歴 == * 1975年:夏草新人賞 * 1986年:夏草賞 * 1982年:句集『木の椅子』により現代俳句女流賞および第5回俳人協会新人賞 * 1995年:句集『一木一草』により俳人協会賞 * 2008年:第1回桂信子賞 * 2011年:句集『日光月光』により第45回蛇笏賞 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黒田杏子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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