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黒田清 : ミニ英和和英辞書
黒田清[くろだ きよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

黒田清 : ウィキペディア日本語版
黒田清[くろだ きよし]

黒田 清(くろだ きよし、1931年2月15日 - 2000年7月23日)は、日本ジャーナリスト、元読売新聞記者。兄は神戸大学名誉教授の黒田健二郎。
== 来歴 ==
大阪府大阪市北区天満出身、天満橋北詰の天満市場前で、製粉工場を経営する父と母の9人兄弟の末っ子として生まれた〔『オール3の思想』(近代文芸社)〕。旧制大阪府立高津中学校卒業、旧制第四高等学校(現・金沢大学)、京都大学経済学部卒業。
1952年12月、大阪進出直後の大阪読売新聞社に新卒1期生として入社。遊軍記者からスタートし、社会畑を歩み、1976年社会部部長就任。以後、この社会部チームの記者は在京のメディアから「新しい新聞記者集団」として「黒田軍団」と名付けられ注目を集めた。読売新聞大阪社会部として、1984年には「警官汚職」で日本ノンフィクション賞、1985年に「戦争」で菊池寛賞をそれぞれ獲得。
読売新聞の論調が、当時論説委員長のポストであった渡邉恒雄の主導により東京読売は保守右派であるが、大阪読売では黒田のスタンスである反権力、反差別、革新左派色が強く、会社のカラーが合わなくなって来た為、1984年には黒田を干すために編集局次長専任へ異動となり、コラムである「窓」のみしか仕事が無くなった。結果、1987年1月10日に大阪読売を退社。その後は「黒田ジャーナル」を主宰するフリージャーナリストとして、ミニコミ紙「窓友新聞」発行の他、テレビ、ラジオのコメンテーター業、日刊スポーツ・大阪本社版に連載「黒田清のぶっちゃけ・ジャーナル」を、しんぶん赤旗日曜版に連載「半共ジャーナル」等のコラムを執筆して行った。
1997年夏、膵臓ガンが見付かり、9月末には膵臓の半分と胆のう、十二指腸、小腸の一部を取り除く12時間にも及ぶ大手術を受けた後、同年11月21日に退院し1998年1月から仕事に復帰した。
しかし、2000年1月13日の阪大学付属病院でのCT検査で肝臓へのガン転移が発覚。2000年7月23日、摂津医誠会病院にて膵臓癌のため死去。1週間後の7月30日には大阪市北区の太融寺で葬儀が営まれ、メディア業界以外を含め1300人が参列した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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