|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 黒 : [くろ] 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 紫 : [むらさき] 【名詞】 1. (1) purple colour 2. purple color 3. violet 4. (2) type of soy sauce
黒田 紫(くろだ ゆかり、1961年11月28日-)は、日本のチアリーディング指導者、高等学校英語科教員(地方公務員)である。 最終学歴は津田塾大学卒業。 ==人物・略歴== 大学在学中の18歳の時に日本初のプロチアリーディングチームのメンバーに選出され国内外の多くのスポーツイベントで活躍をする。 大学卒業後に県立高校の教員(地方公務員)となり、神奈川県立住吉高等学校英語科教師に就任、チームを創る。強豪大学チームや社会人チームをはねのけ、創部わずか3ヶ月の無名のチームを全国優勝させ一躍有名になる。その様子はテレビのドキュメント番組で何回も取り上げられた。住吉高校は3年連続日本一となり黒田の指導者としての手腕は全国に轟いた。後に学校荒廃で荒れた神奈川県立茅ヶ崎高等学校に異動し、そこでもチームを創り全国優勝に導いた。底辺校のチームが全国優勝をしさらに世界大会にまで出場した、というニュースは全国に衝撃を与えた。教師としての活動以外にもチアリーディングの演技者・指導者として活躍をし世界的に有名である。 また、プロ野球やJリーグのチームにチアリーディングチームを立ち上げ育成した。黒田自身も選手として演技をしていたランサーズは、湘南ベルマーレ・横浜ベイスターズ・横浜F・マリノスで活躍した。湘南ベルマーレ時代はランサーズが出る試合は負けないと「不敗神話」が生まれ全国紙で取り上げられた。横浜ベイスターズ時代には、ランサーズが出演した試合での勝率が6割を超え、2004年シーズンから姿を消すとベイスターズも低迷した。マリノスの試合では、もともとのランサーズのメンバーに公募によって選ばれたメンバーが加わりトリコロール・ランサーズとして活躍した。しかしこのチームも1年で姿を消した。 離婚し2人の子供を一人で育てながら現役チアリーダーとして活躍を続け2007年に「46歳のチアリーダー」として話題となった。 摂食障害やバセドウ病、脳こうそくと戦いながら懸命に生きる姿はNHKの情報番組『つながるテレビ@ヒューマン』などでも取り上げられた。壮絶な生き様は著書「先生はチアリーダー!子持ち・バツイチ44歳」の中で語られている。ランサーズがプロ野球マスターズリーグの公式チアチームであったことから、生前の大沢啓二がこの本の推薦者となっている。 2011年、スポーツ番組で取り上げられ、久しぶりにメディアに登場する。スタジアムでの演技より脳梗塞やアンチエイジングに関しての講演のほうがメインとなってしまったが、黒田自身はあくまで現役にこだわりたく、呼ばれれば「どこででも演技をする」と宣言していた。いつでも演技ができるよう50歳の今も30年前と変わらないスタイルを維持しているという。演技の依頼はプロ野球マスターズリーグで受け付けている。 2012年にはテレビ東京のミニ番組『生きるを伝える』、2013年には朝日新聞首都圏版夕刊「華麗な人」で健在ぶりが採り上げられた他、同年7月26日には文化放送『吉田照美 飛べ!サルバドール』にゲスト出演した。2014年3月現在は、神奈川県立大和南高等学校のダンス部顧問を務めている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黒田紫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|