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黒田麹廬 : ミニ英和和英辞書
黒田麹廬[くろだ きくろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [こうじ]
 【名詞】 1. malt 2. leaven 3. yeast 4. mould used to make sake 5. mold used to make sake 

黒田麹廬 : ウィキペディア日本語版
黒田麹廬[くろだ きくろ]
黒田 麹廬(くろだ きくろ、文政10年3月(1827年4月) - 明治25年(1892年)12月14日))は、幕末期から明治時代前期の洋学者。『ロビンソン・クルーソー』を初めて日本語に翻訳した。
== 生涯 ==
黒田麹廬は、文政10年3月(1827年4月)に膳所藩儒学者黒田粱洲(扶善)の長男として生まれ、通称を行次郎、は行元と言った。父の薦めに従い、天保14年(1843年)江戸に出て緒方洪庵適塾に入門、また伊東玄朴蘭学を学んだ。江戸滞在中の嘉永3年(1850年)頃イギリスの作家D.デフォーの『ロビンソン・クルーソー』蘭語本を和訳し、『漂荒紀事』としてロビンソンをの子として描いた。文久2年(1862年)には蕃書調所に出仕した〔「滋賀県百科事典」(滋賀県百科事典刊行会編 大和書房 1984年)〕〔「近江人物伝」 P215「黒田麹廬」(臨川書店 1976年)〕。
オランダ語英語フランス語ドイツ語に精通し、天文学にも造詣が深かったと伝えられる。明治維新前に帰藩し、藩校遵義堂で藩士に対し洋学と漢学の講義を行った。麹廬門下からは杉浦重剛が育った〔。明治6年(1873年)から同10年(1877年)の間、京都東本願寺で古代インドバラモン教聖典リグ・ベーダ』の英訳本を元に翻訳作業に従事した。
懐中時計インキ鉛筆などを人々に紹介し、酒を好み、城下で子供が生まれると好んで命名するなど人間味豊かな人だったと伝えられる〔。晩年は滋賀県蒲生郡八幡町(現近江八幡市)に隠居し、明治25年(1892年)12月14日死去した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「黒田麹廬」の詳細全文を読む




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