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黒脛巾組(くろはばきぐみ)とは、陸奥の戦国大名である伊達政宗が創設したと言われる忍者集団である。戦国時代や江戸初期の同時代史料では確認できない呼称であり、江戸中期以降の伊達家関係資料に突如登場することから、架空の可能性がある。 その一方で山岡荘八著・伊達政宗にも触れられているが、伊達家の本拠地が長く現在の山形県の置賜地方(米沢市等)であった事から、目と鼻の先の出羽三山系の修験者と伊達家に密接な関係があった事は知られており〔政宗の誕生逸話に、「母義姫の夢に白髯の老僧が現れ、宿を胎内に借りたいと言って持っていた幣束を彼女に渡して消えた。すると程なく義姫は懐妊した。この白髪の老僧は東北の民や修験者達から尊敬されていた満海上人であり、誕生した梵天丸は満海上人の生まれ変わりである、と言われるようになった。」と言うのがある。 政宗の幼名である梵天丸の梵天は修験道で幣束の事を言う。こんな面からも伊達家と修験道との関係をうかがう事が出来る。 なおこの満海上人も、また隻眼の行者であったという。更に知ってか知らずか後に政宗は秀吉により故郷の米沢を追われ、満海上人の拠点や入定地となったと現在の宮城県に拠点を移す事になったのであった。〕、、また蔵王権現で有名な蔵王連峰も近辺である。 これらの修験者が行う全国行脚などを通じて、隣国への外交工作や諜報を行っていた可能性は十分考察すべきである。 元々忍者自体が伊賀、甲賀、名張、風魔、甲斐、越後の忍者にしても山岳地帯の傭兵集団の色合いが濃く、同じく山岳地帯に住み、山岳を信仰や修行の対象とした神道、密教、そして特に修験道等の山岳信仰の人間達との関連性は非常に高い。 (伊賀甲賀名張は吉野金峰山に比較的近く〔伊賀流忍術の起源と伊賀の歴史 伊賀流忍者博物館〕、風魔の拠点足柄山そばには箱根の修験道、上杉領には妙高山、そのそばには戸隠山、飯縄山、武田領にも富士修験道始め様々な修行山がある。) よって出羽三山等の修験道と黒脛巾組もしくは伊達家の諜報関連との関連性については、今後の研究が待たれる所である。 ==出典== 『伊達秘鑑』:明和7年(1770年)半田道時。 『老人伝聞記』 政宗を中心とした軍談。著者不明。仙台叢書第六巻収録。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黒脛巾組」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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