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黒鳥 四朗(くろとり しろう、1923年(大正12年)2月 - 2012年(平成24年)2月4日 )は、大日本帝国海軍の戦闘機搭乗員(偵察員)。夜間戦闘機(丙戦)月光に搭乗し、倉本十三飛曹長とのペアで本土防空戦を戦い、B-29を6機撃墜した。最終階級は海軍中尉。 == 経歴 == 東京高等農林学校(現在の東京農工大学農学部)に在学中、航空機メーカーでの木材の研究を志し、川西航空機株式会社に就職が決まったが、海軍への志願により辞退(休職扱い)。 1943年9月10日、土浦航空隊へ飛行予備学生として入隊。2ヶ月の基礎教育を受ける。同11月29日、鈴鹿航空隊へ偵察員として配属される。偵察専修教程を学ぶ。教程の終了頃に、偵察員の中で実際に敵機を追い、攻撃できる機種は夜間戦闘機しかなかったため、夜間戦闘機を熱望した。 1944年5月、少尉に任官。横須賀航空隊の第十三野戦分隊に夜間戦闘機搭乗員として配属された。ラバウル帰りの工藤重敏飛曹長らに教えを乞い、その後席で偵察員としての技量を磨いていった。夜間戦闘機「月光」は、前席が操縦や銃撃を行う操縦手、後席に偵察や航法を担当する偵察員が座る。1944年の秋から初冬にかけて、同じく東京出身の倉本十三上飛曹とペアを組みはじめ、以後はこのペアによる出撃が頻度を増した。1945年に入ると第十三分隊は第七飛行隊に昇格し、黒鳥少尉は飛行隊士に指名された。ただし装備機材に拡充は無く、名前のみの変更だった。 戦況としては1944年11月からアメリカ軍の首都圏空襲が開始されており、1945年3月10日には昼間の高高度爆撃から夜間の低高度爆撃へと戦術を一変させた。第七飛行隊は夜間邀撃に参加。黒鳥少尉は4月1日から夜間空戦に出撃した。4月後半から6月ごろ、「暗視ホルモン」と呼ばれる薬物の投与を受ける。1945年6月1日、黒鳥少尉は中尉に進級した。1945年8月15日に終戦。 戦後、運輸省の技官として技術研究所に勤務し、枕木の防腐処置について研究した。しかし、戦争中に投与された「暗視ホルモン」、塩酸メタンフェタミンの副作用による異常感覚と体調の不良に悩まされる。体調は好転せず、昭和25年に技官を辞職、九州の民間会社に就職した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「黒鳥四朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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