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齋藤 彰俊(さいとう あきとし、8月8日 - )は、日本のプロレスラー。宮城県仙台市出身。 == 来歴 == 水泳が得意(平泳ぎ)で仙台市立五橋中学校生時代に全国大会で3位の実績を残し、スカウトされて中京高校に進学。松永光弘は同級生であった。この頃には誠心会館で空手の鍛錬も積んでいた。中京大学進学後も水泳を続け、インターハイや1985年の日本選手権で優勝しオリンピックの強化選手にもなった。当時から長州力のファンで、パワーホールで選手入場したこともあったという。 大学卒業後に準公務員になったが、朝礼で上司が食べたという、すき焼きの話を聞かされるに至って退職を決意し、天職だろうと考えていた格闘家に転向。1989年のFMWの旗揚げ戦で空手の試合を行い、剛竜馬に誘われ1990年12月20日、愛知県半田市民ホールにおけるパイオニア戦志の対金村ゆきひろ戦で正式なプロレスデビュー。1991年8月にW★INGの旗揚げに参加。徳田光輝、木村浩一郎とともに「格闘3兄弟」として活躍するが、ほどなく第一次W★INGは崩壊。その後、W★INGから分裂して旗揚げを準備していたWMAの所属となるが、一度も興行を行うことなく、団体が崩壊した。 1992年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会に誠心会館の門下生と徒党を組んで乗り込み、新日プロに宣戦布告。セコンドを両者数十人が取り囲む異常な雰囲気の中1月30日小林邦昭にTKO勝ち、週刊プロレスの表紙を飾った。2月8日には小原道由に勝利した。小林との再戦では関節技にて敗れるも長州は小林との一戦を高く評価する。その後長州に認められ新日プロに参戦。その後、青柳政司、小林、越中詩郎、木村健悟と反選手会同盟(後の平成維震軍)を結成するなど活躍。その後1998年に新日プロを退団。一時リングから離れ、名古屋市にショットバー「ココナッツ・リゾート」を開店、小牧市に格闘技道場ノーティを開設した。共に現在はプロレス専念のため閉店している。PRIDEに参戦した石澤常光のセコンドについたこともあった。 2000年10月にプロレスリング・ノアから声がかかり、青柳とともに参戦、以降はフリーの立場で継続参戦する。その後秋山準に共鳴しスターネス入り。秋山の正パートナーとして2002年9月23日に力皇猛&森嶋猛組を破り、第5代GHCタッグ王座を獲得した。2004年7月にスターネスを離脱。井上雅央、杉浦貴らとともにダーク・エージェントを結成した。 ノアでは長らくフリーの立場だったが、スターネス時代にはノアのジャンパーを着てセコンドに付いたり、様々なイベントにも参加するなど、ほぼ所属選手と同じ行動をしていた。2006年1月1日付で正式にノア所属選手となった。 2007年6月20日のZERO1-MAXに来場、7月からの火祭りに参戦した。 2009年6月13日、広島県立総合体育館グリーンアリーナ(小アリーナ)で行われたGHCタッグ王座選手権試合で王者として試合中、挑戦者の三沢光晴に急角度バックドロップをした際に、三沢が意識不明・心肺停止状態に陥って死亡するリング禍が発生した。結果として齋藤は三沢の最後の対戦相手となった。死亡を聞かされた直後は一睡も出来ず引退も考えたが、6月14日の試合後、齋藤は三沢の遺影に向かって土下座し「どんな重い十字架でも背負う。リングに上がり続けることが社長への恩返し」として現役続行を決意した。また、事故後にファンからの中傷を受けたが、齋藤は「自分に言うことで気持ちが晴れるなら全部受ける。逃げることはしない」と語った。 事故の発端となったバックドロップについて「今は封印しているが、社長の心の声が聞こえる時が来たら解禁する」としたと述べて、しばらくはバックドロップを封印していたが、9月12日の後楽園ホールでの森嶋猛とのシングルマッチにおいて三沢に許しを乞うように天を仰いでから3か月ぶりにバックドロップを使用、続け様のランニング・スイクル・デスで勝利した。試合後、齋藤は「みなさんすみません。バックドロップ、使ってしまいました」と涙声でファンに謝罪した。 2011年12月、24日のノア興行が所属最後と明かし、2012年よりフリー契約となった〔ブログ 〕が、ノアへの参戦は継続している。2012年1月22日には、秋山とのタッグでジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン組からGHCタッグ王座を奪取し、新日本プロレスに流出した王座を取り戻すことに成功した。 2014年6月13日、三沢光晴メモリアルナイトにて丸藤正道と一騎打ちを行うも敗れた。試合後、ノア再所属が決定した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「齋藤彰俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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