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斎藤 昇(さいとう のぼる、1903年(明治36年)1月28日 - 1972年(昭和47年)9月8日)は、日本の内務官僚、政治家。運輸大臣・厚生大臣・警察庁長官。参議院議長を務めた斎藤十朗は子息。 == 経歴== 三重県阿山郡東柘植村(現在・伊賀市)出身。父・角蔵、母・のぶへの長男として生まれる。 上野中学、八高を経て、 大正15年(1926年)文官高等試験に合格〔『人事興信録. 第13版』(昭和16年)上サ八〇〕。東京帝国大学農学部及び法学部を卒業後、内務省に入省。 終戦間もない昭和21年(1946年)1月15日に山梨県知事に就任。昭和22年(1947年)2月には内務次官として本省へ戻る。その後、昭和22年(1947年)10月に警視総監、昭和23年(1948年)3月には旧警察法施行と同時に国家地方警察本部長官に就任、旧警察法時代を通じて在任した。昭和29年(1954年)7月、新警察法施行・警察庁発足時に初代の警察庁長官に就任し、戦後警察制度の推移する中で現行制度を確立する。昭和30年(1955年)7月に退官。 昭和30年(1955年)8月、三重県選挙区の参議院補欠選挙で初当選。以後3期当選。自由民主党では佐藤栄作派に属し、昭和36年(1961年)7月に第2次池田内閣第1次改造内閣の運輸大臣として初入閣。昭和43年(1968年)11月に第2次佐藤内閣第2次改造内閣の厚生大臣に就任。昭和45年(1970年)1月に退任するが、昭和46年(1971年)7月の第3次佐藤内閣改造内閣発足で再び厚生大臣に就任。 昭和47年(1972年)9月8日に死去。正三位勲一等旭日大綬章。昭和33年(1958年)7月から死去するまで三重県遺族会の会長も務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「斎藤昇」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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