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龍 憲一(りゅう けんいち、1937年4月28日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 == 来歴・人物 == 福岡商科大学附属大濠高等学校から杵島炭鉱を経て、日炭高松に進む。1959年の都市対抗に出場。東洋レーヨンとの2回戦に先発として登板し、好投するも1-5で敗退。 1960年に東映フライヤーズへ入団〔カープ50年 夢を追って、中国新聞社、1999年11月、P80〕。1年目から一軍に抜擢され、先発にも起用されるが、1961年には登板機会が減少する。 1962年に広島カープへ移籍し、肩のでき上がりが早く、連投がきくからという理由で抑えを任されることになった〔。当時はセーブというルールが球界になかった時代であり、抑えは単なるリリーフと変わりが無いものだったが、自分の役目をしっかりと果たし、この年に60試合に登板し、翌年も61試合投げるなど毎試合ベンチでスタンバイしていた〔。1965年には64試合に登板し、投球回数も226回を投げた。18勝したがその内17勝が救援勝利という記録だった〔。しかし、これまでの疲労が溜まり1967年にひじを故障し、1970年に引退〔。引退後「僕が太く短くを選んだ。だから後悔はない」と本人は語っている〔。 引退後はスコアラー(1971年)を経て、広島(1972年・1975年 - 1977年・1984年 - 1987年二軍投手コーチ, 1978年 - 1983年一軍投手コーチ)、太平洋(1973年 - 1974年一軍投手コーチ)と2球団でコーチを歴任〔。ジョー・ルーツ、古葉竹織、阿南準郎ら3人の監督に仕え、5度のリーグ優勝と3度の日本一に貢献した。1988年からは球団のスカウトとなり、1998年に退団。2000年からは広島経済大学硬式野球部の特別コーチを務め、2006年から正式に投手コーチとなる。2010年からは同部の監督に就任し、2度のリーグ優勝に導く。柳田悠岐を送り出し、2012年退任。監督の後任として同じく広島OBの山本翔が就任し、2代続けて広島OBが監督を務めることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「龍憲一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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