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龐萌 ( リダイレクト:ホウ萌 ) : ウィキペディア日本語版
ホウ萌[ほう ぼう]

龐 萌(ほう ぼう、? - 30年)は、中国代から後漢時代初期の武将。兗州山陽郡の人。
== 事跡 ==

=== 光武帝の寵臣 ===

当初は、緑林軍系の下江軍に属していた。更始1年(23年)、劉玄が更始帝として即位すると、龐萌は冀州牧に任命され、尚書令謝躬に帰属し、破虜将軍劉秀と共に河北の王郎を討伐している。翌更始2年(24年)に謝躬が劉秀に誅殺されると、龐萌は劉秀に降伏してその配下となった。
建武1年(25年)6月、劉秀が光武帝として即位すると、龐萌は侍中に任命された。龐萌は、謙遜温順な人柄により光武帝から信任と寵愛を受け、「若い孤児を託せ(=後見を任せ)、百里四方の国の命(=政令つまり政事)を任せられるは、龐萌この人なり」〔『論語』泰伯第八の6 曾子曰「可以託六尺之孤、可以寄百里之命、臨大節而不可奪也、君子人與、君子人也」の引用。つまり龐萌は君子人と誉めている。〕とまで言わしめている。その後、龐萌は平狄将軍に任命された。
建武4年(28年)7月、梁王劉紆の陣営に属する董憲の配下賁休が、蘭陵(東海郡)を献上して漢に帰順する。まもなく、董憲が蘭陵の奪回に動いたため、光武帝は龐萌と蓋延に命じて賁休を救援させた。しかし、董憲の前に龐萌と蓋延は敗退し、結局、蘭陵も奪い返されてしまう。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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