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尹 致昊(日本語読み;いん ちこう、朝鮮語読み;ユン・チホ、1865年1月16日 - 1945年12月8日)は、李氏朝鮮末期から連合軍軍政期に活動した韓国の政治家である。終戦直前に貴族院朝鮮勅選議員。号は佐翁()、日本名は伊東致昊(いとう ちこう)。本貫は海平尹氏。 1880年代は独立協会、万民共同会の領袖として活動し、独立新聞社の第2代社長である。1909年に韓英書院と大成学校の校長を務め、同年新民会に参加した。1920年代以降は教育活動に重点を移し、延禧専門学校・セブランス医学専門学校・梨花女専門学校の財団理事として活動した教育者でもあった。また朝鮮人初の英語通訳でもある。 大韓民国第4代大統領は甥、第13代ソウル市長の尹致暎は従弟にあたる。 == 生涯 == === 出自 === 忠清道牙山郡に朝鮮王朝の兵曹判書を務めた尹雄烈を父、全州李氏のイ・ジョンムを母として生まれた。宣祖時代の領議政尹斗寿の次男尹昕の8代目の孫にあたる。 幼年期の尹致昊は張先生と金正言先生から儒教を学んだ。しかし、父の尹雄烈が妾子であったので科挙を受けることができなかった。1879年に15歳で漢城府貞洞出身の晋州姜氏の夫人と結婚した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「尹致昊」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yun Chi-ho 」があります。 スポンサード リンク
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